Title/flow of scribble(宙に画描く)

Plywood, Acrylic paint, Wire / 4.5m(w)×6m(D)×2.7m(H)

 

◇会 期: 2010.05/21 – 2010.06/19

◇会 場: TOKIO OUT of PLACE

 

妄想の蔦

中島崇は、線の人だと思う。

まず彼自身が線で描いたように細長い。 ジャコメッティの人物彫刻さながらの細長い体 躯。 絵描き風なベレー帽と眼鏡の奥に真意と照れを隠し。 足長蜘蛛がせっせと繰り出した糸で巣をつくり求愛のダンスをするように、 ひょろりと長い手足を折り曲げ踊りながら、彼は描く。

彼の描く線も、特徴的である。 ライブペイントでは、長い腕をいっぱいにのばし、 ぐるぐる、ぐちゃぐちゃと有機的に絡み合い、 跳ね、踊り、滞り、干渉しあう線を描く。 これは落書き それともドローイング?

彼の線は、紙やキャンバスといった二次元の世界を軽々と抜け出す。 インスタレーションでは、絵の具だけでなく、 あるときはベニヤ板で、あるときはカラフルな厚紙で、 空間そのものに立体的にラインを描きのこしていく。宙に描く といおうか、 空に描く といおうか。 見る者は、縦横無尽に張り巡らされたその三次元のラインを またぎ、くぐり、見上げ、見下ろしながら、いつの間にかその中に取り込まれている。

彼の描く線は、「線」という言葉には収まらない。おそらくそれは、「エネルギーの軌道」であり、「思考の通り道」であり、「妄想が蔓のようにのびていく軌跡」なのである。

中島崇は、その高い頭のてっぺんから妄想の蔓をのばし、周囲の空間にまきつけ、増殖させる。 いつしかその蔓は、色づき、つぼみを蓄え、 ここにイマジネーションの花がひらく。落書き、混乱、混沌とみえた彼のドローイングの線は、 千織その時の彼のエネルギーの形が、愚直に具現化されただけなのだ。妄想の蔦からまる手長蜘蛛の脳内空間が、ここに実体化する。

東京国立博物館 研究員 藤田千織

 
 

中島崇に関する2、3の出来事

代々木の美術予備校にいた。そこに彼もいた。彼が何を思い、どんな仲間がいるか等知らぬまま、その全てが細長い異様な風 貌だけが脳裏に残った。

専門学校に入った。東京近郊育ちの性格最悪な 私には地方からやって来たが故の、過剰にファッショナブルな自己主張を繰り返す男女が跳梁跋扈している学内に辟易していた。
「普 通」不全のかわいそうな子達の為のフリースクールに見えた。
要するにこちらも、膨大な情報がすぐそこにあるという環境に育ったが故に選択することを早々と放棄し、倦怠感、嫌悪感を露骨に表現することで 自分を守っていただけだったのだが。

またそこにいた。違うクラスだったせいもあり、一年間は「あぁ、あの」と彼の存在を横目にするのみだったが、周囲へアグレッシブに己が存在を主 張する、まるで発狂したトーテムポールのようだった。他とは違う空気がそこにはあった。

「鬱陶しいな」と、心に刻んでおこう、と思った。

一年が経ち、気が付けば毎日のように彼と無為に過ごしていた。無為な事が何よりも素晴らしい時期に、常に私の横には純粋で俗悪、独創的で浅薄、 そして時折見せる無自覚な深淵を持つ男がいた。

度を超した悪戯と素描とオッパイと裏返したジーパンと海の音と酒とムニャムニャと散歩と淡水魚とオブジェと大音量の音楽・・・・

この世に「キング・オブ・無為」がいたのだ。これ以上の何があろう。中島よ。これからも世の中に無為をまき散らせ。私は横でニヤニヤさせて貰う。

カワセヨウタ(俳優)